運命について哲学する(後編)|コラム

哲学

運命

今日のコラムは「運命について哲学する(後編)」です。
今回は、この運命を哲学するのに「ヘーゲルの弁証法」を使いたいと思います。

「弁証法」の定義に当てはめると

1.運命は全て決まっている(テーゼ)
2.運命は自分の意思で変えられる(アンチテーゼ)

ということが言えます。

「運命は全て決まっている」というのは、
神様が決めたことで言いかえれば「宿命」です。
個人の意思ではどうにもならないことなのですが、
全てがどうにもならないのかと言うと、そうではない気がします。

余談ですが・・

以前、映画で主人公が恋人の事故死を
タイムマシーンで過去にさかのぼり、
なんとか食い止めようとするという話がありました。

その事故を回避することはできるのですが、
結局恋人は他の死に方で亡くなります。
何回も繰り返して回避するのですが、結局亡くなってしまうのです。

その主人公はそれで気がつきます。
「過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分だけ。」
そこで彼は過去にとらわれるのをやめ、前を向いて歩きだすという内容でした。

そして、もう一つの定義は
2番の「運命は自分の意思で変えられる」です。

私たちは毎日何かを選択して生きています。
その選択が変わると違う方向に行きますから、そういう意味では自分の意志で変えているということです。

そうなると、1番と2番は相対する意見で、一見矛盾しているように思えます。
でも、実は両方とも成り立っているのです。

この世界は、「割り切れること」なんてほとんどありません。
なぜなら「陰」だけ「陽」だけの片方だけで存在しているものはないからです。

論理的に頭で考えることは「割り切れる」ことです。
でも、頭でシュミレーションしたことが、実際にはなかなかそのように進まない
ということがほとんどです。

なぜなら私たち人間には感情があるからです。
この感情はなかなか割り切れない(苦笑)。
だから「矛盾」が生まれます。

でも、実はこの「矛盾」が必要なのです。
「矛盾」があるからなんとか解決しようとします。なんとか工夫しようとします。
お互いが上手く行くようにしようとします。

「矛盾」が発見や発明を生み、進化や発展へと導く原動力になったのです。

それが、弁証法の次の3番目の定義

3.運命は宿命を受け入れると立命することができる(ジンテーゼ)

です。

ジンテーゼとは、
「相反するものを否定するのではなく受け入れ、一段高い視点に立った見方」
です。

人間を「客観的」にみれば、運命は決まっていてそれが宿命です。
宿命は変えることができないものです。
だからそれを否定しても仕方がないし、そこにエネルギーを使うのは無駄です。
その客観的な見方(天の見方)を学ぶのに有効的な智慧が「スピリチュアル」です。

でも、人間を「主観的」にみれば、運命は変えられる、それが立命です。
宿命で決まっていることは変えられないのですが、そこで味わう感情は変えられます。

在り方、自己表現、人との関わり方、物事の捉え方、人としての成長・・・
全てが自分次第です。

それが「主観」の素晴らしいところです。

人間として生まれたのですから、
人間としての感情を味わえばいいのだと思います。
人間としての幸せを体験し、人としての成長をしていけばいいのだと思います。

その主観的な見方(地の見方)を学ぶのに有効的な智慧が「東洋思想」です。

私たち人間は、天と地の間にいますから。まさに「天地人」です。
一度の人生ですから、天地人を十分味わってみてはどうでしょうか?

と、こんな感じで「運命」を哲学してみました。


« »